親友の家に遊びに行くのは、昔からの日常だった。
だが、いつからだろう。自分の心に、説明のつかない「もやつき」が芽生え始めたのは。
最初は本当に、何も感じていなかった。幼馴染の家に行くような、ただの気楽な放課後。
それが今では、玄関で「いらっしゃい」と彼のお母さんに迎えられるたび、自分でも驚くほど心臓がうるさくなる。 ただの世間話をしているだけなのに、言葉が詰まり、指先が少し震える。そんな、隠しきれない緊張に支配されている自分に気づいてしまったんだ。
リビングで親友がゲームに夢中になっている横で、ふとお母さんが飲み物とおやつを置きに来てくれた。
この時ほどおやつの味を感じなかったことはなかったかもしれない。
ほんの数秒、隣に彼女の気配を感じるだけで、さっきまで画面に集中していた意識が完全に持っていかれる。漂う柔らかな石鹸のような香りと、わずかに聞こえる服の擦れる音。
彼女にとっては日常の一部で、僕なんてただの「息子の友達」でしかない。 それを分かっているからこそ、勝手に舞い上がって緊張している自分が、ひどく場違いな場所にいるような気がして、視線をどこに置けばいいか分からなくなった。
「またね」と親友に別れを告げ、玄関で見送ってくれた彼女に会釈をして外に出る。
夜の冷たい空気に触れて、ようやく自分の体温が異常に上がっていたことに気づいた。帰り道の街灯の下、さっきの彼女の微笑みを何度も思いだしてしまう。
ただの「友達の母親」と「息子の友達」。 その境界線は、僕が思っているよりもずっと高く、そして脆いのかもしれない。
今夜は、この火照った気持ちを静めるために、もう少しだけこの余韻に浸っていようと思う。



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